トムのざれごと
思いつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
社長:くっきぃ
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設〜現在に至る
趣味:競技麻将・映画鑑賞・旅行
TEL〜0837−22−3776
携帯〜090−6412−9464



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フランシスコ・サビエル
1550年10月〜
ここ、下関、唐戸に上陸…フランシスコ・サビエル〜44才。。。
ポーズをとる、琴音〜4才。。。

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鹿児島から平戸を経由して下関!!!
当時、この地を治めていたのは、大内義隆〜43才。。。
後のマンション(サンリブ)ひーばーちゃん家に遊びきた琴音。。。

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応仁の乱(1467年〜1477年)で、荒廃した京都から、多数の公家衆や文化人が西京〜山口へ流れ込んでいた。。。
その、京文化から山口に伝えられた男色(ホモセクシャル)も花盛りだった。。。
サビエルのパンツを下ろそうとしたかは、定かではないが…???
男色を否定するサビエルに義隆が激怒し、山口に居づらくなったサビエルは京都の将軍に謁見を求めるが、叶わず、、、比叡山延暦寺の僧侶との対話も拒否され。。。
再び山口へ、、、義隆の怒りを鎮めるために、手ぶらでは帰れない、、、平戸まで戻り、西洋の土産を持って再び山口へ、、、その後、布教と教会の建設を許されることに〜
サビエル記念聖堂〜
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15分毎に鳴らされるカリヨンの鐘の音が響きわたる。。。
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翌年の1551年〜に長門、大寧寺で義隆を討った、、、陶晴賢も若い時分から、義隆の寵愛を受けていた一人だった。。。
大寧寺に逃げ込んだ時、、男色相手の安富源内と清四郎も義隆と運命を共にした。。。
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洞春寺
9月28日(月)
26代大内家当主〜大内盛見(もりはる)の墓が山口の洞春寺に有ると言うので、行ってみた!
おいら的には大内家の救世主は彼だと思う!!!
兄ちゃんの義弘(享年44才)が足利義光の謀略(応永の乱1399年)により討ち死にした後、軍門に下った弟〜弘茂(幕府方)と対立
一時は九州に逃れ体勢を立て直して弘茂を討ち、大内家を安堵させた
その後、応永の元寇で李氏朝鮮とのギクシャクした関係を回復させ、強い大内ブランドを作りあげていった。。。

盛見は享年56才〜九州筑前にて少弐&大友氏らの争い中〜戦死
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盛見が1404年頃に国清寺を建設した時の山門〜全国でもかなり珍しい四脚門
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洞春寺は毛利輝元が、関ヶ原後に減封なった為に〜じいちゃんの元就の菩提を慰める為に創建した寺院。。。
強かった、、、毛利家を孫の代で潰した責任を痛感してのこのだろ〜
洞春寺・・・
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盛見の父ちゃんの弘世の像〜なぜか頭に鳩が・・・
背後には、盛見がにいちゃんの為に建設した、、、五重塔。。。

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孫とデート
9月23日(水)
シルバーウィーク最終日、、、昼から店(トム)を閉めて、琴音と公園に〜

琴音4才・・・

最近〜おねえちゃんへと豹変しつつある。。。
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20数年前の愛に似てきた、、、気がする。。。
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と・・・言ったら琴音が不機嫌に
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ママより美人だよ
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疲れを知らない琴音。。。
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孫文
7月26日(日)
9月5日公開の映画『孫文』…
100年先を見た男〜中国革命の父…
その、孫文が亡命中の〜支援のお礼として送られた孫文蓮…
朝4時起きで、長府庭園に〜着く成り、、、大雨に〜

一輪しか咲いていなかった…孫文蓮。。。
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後、2〜3時間後に咲く孫文蓮…
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この蓮は夜明けと共に咲きはじめ、早朝に満開に〜午後には閉じ、2〜3日繰り返し4日目には、すべて散ってしまう。。。

孫文は日本を初め数カ国に亡命し、革命の機を狙っていたのは分かるが、、、母国に3人の妻を持ちながら、、、22歳年の差の日本の14歳の子に一目惚れし求婚。。。
日本人の妻『大月薫』が妊娠し出産する頃には、中国に帰ってしまう〜
その後、『富美子』が生まれる!薫は『文子』と名づけたかったらしいが、、、孫文に迷惑をかけたくなかったらしい!?〜
それ以来〜孫文は日本を訪れる事はなかった。。。
これが、100年先を見た男のすることか???あたかも聖人君子の如く中国では尊敬されているが???
孔子も嘆くかも…中国には『君子は屋漏に愧じず』と言う諺もあるのに、、、

孫文は日本に滞在中〜中山と言う名を使用していた、、、たまたま亡命先の隣に中山さんと言うお宅の名が気に入ったとか???

下関市綾羅木の中山神社に中山慶子の弟『中山忠光』が祀られている。。。

慶子は孝明天皇の妾〜その子が明治天皇。。。

忠光は長府毛利藩に保護されていたが、禁門の変・四国戦争・第一次長州征伐などで弱体化していたこともあり、、、反対派の藩士に暗殺されてしまう。。

享年20歳〜殺されたのが1864年11月5日!高杉晋作が功山寺で挙兵したのが12月15日〜
もう〜40日余り隠れていれば、、、助かっていたのに。。。

忠光のひ孫が清朝〜ラストエンペラー『浩』…清朝を倒した男が孫文

孫文は日本で使っていた名〜『中山』はラストエンペラーが中山家の子息と知っていて使ったのではないだろうか〜???














大内義長
7月20日(月)
久々に城下町〜長府を散策しようと思ったら雨に祟られガックリ><〜
でも、功山寺だけは行ってみた。。。

あの時〜兄ちゃん『大友宗麟』が、忠告してくれたのに…言う事を聞いとけば良かった。。。
だが、俺はブランドを欲しがった大内と言うビッグブランドに目がくらんだ…

あれは〜1551年9月に義父でもあり叔父でもあった『大内義隆』が大寧寺の変で没した…
不義を決行した陶晴賢は仇だが、大内家当主になれるチャンスを与えてくれた、、、

でも、今では後悔している、、、家督を譲り受けたこの5年間〜何一つ私の意見は通らなかった、25歳で自刃する羽目になってしまった…
唯一成し遂げたことはザビエル教会建設の許可を出したことだ、、、
ちなみに私もキリシタン大名〜(ジュアン)と言う。。。

と、言ったか言わなかったはわからないが???、、、

大内義長の辞世の句
誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ

1557年ここ功山寺で大内義長(大友晴英)自刃。。
曹洞宗〜1327年創建。。。
変換 〜 DSC04906
1864年に高杉晋作が同志と共に奇兵隊を挙兵した寺でもある〜
挙兵日を赤穂浪士の吉良邸討入と同じ12月14日に合わせる予定だったらしいが、、、一日づれ込んだ。。。
ちょっと間抜けな気もするが、当時の人のこだわりが、面白くも感じられる。。。
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