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| 洞春寺 |
9月28日(月) 26代大内家当主〜大内盛見(もりはる)の墓が山口の洞春寺に有ると言うので、行ってみた! おいら的には大内家の救世主は彼だと思う !!! 兄ちゃんの義弘(享年44才)が足利義光の謀略(応永の乱1399年)により討ち死に した後、軍門に下った弟〜弘茂(幕府方)と対立 。 一時は九州に逃れ体勢を立て直して弘茂を討ち、大内家を安堵させた 。 その後、応永の元寇で李氏朝鮮とのギクシャクした関係を回復させ、強い 大内ブランドを作りあげていった。。。 盛見は享年56才〜九州筑前にて少弐&大友氏らの争い中〜戦死
 盛見が1404年頃に国清寺を建設した時の山門〜全国でもかなり珍しい四脚門
 洞春寺は毛利輝元が、関ヶ原後に減封なった為に〜じいちゃんの元就の菩提を慰める為に創建した寺院 。。。 強かった、、、毛利家を孫の代で潰した責任を痛感してのこのだろ〜 洞春寺・・・
 盛見の父ちゃんの弘世の像〜なぜか頭に鳩が・・・ 背後には、盛見がにいちゃんの為に建設した、、、五重塔。。。

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| 孫とデート |
9月23日(水) シルバーウィーク最終日、、、昼から店(トム)を閉めて、琴音と公園に〜
琴音4才・・・
最近〜おねえちゃんへと豹変しつつある。。。
 20数年前の愛に似てきた、、、気がする。。。
 と・・・言ったら琴音が不機嫌に〜
 ママより美人だよ!
 疲れを知らない琴音。。。

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| 孫文 |
7月26日(日) 9月5日公開の映画『孫文』… 100年先を見た男〜中国革命の父… その、孫文が亡命中の〜支援のお礼として送られた孫文蓮… 朝4時起きで、長府庭園に〜着く成り、、、大雨に〜
一輪しか咲いていなかった…孫文蓮。。。
 後、2〜3時間後に咲く孫文蓮…
 この蓮は夜明けと共に咲きはじめ、早朝に満開に〜午後には閉じ、2〜3日繰り返し4日目には、すべて散ってしまう。。。
孫文は日本を初め数カ国に亡命し、革命の機を狙っていたのは分かるが、、、母国に3人の妻を持ちながら、、、22歳年の差の日本の14歳の子に一目惚れし求婚。。。 日本人の妻『大月薫』が妊娠し出産する頃には、中国に帰ってしまう〜 その後、『富美子』が生まれる!薫は『文子』と名づけたかったらしいが、、、孫文に迷惑をかけたくなかったらしい!?〜 それ以来〜孫文は日本を訪れる事はなかった。。。 これが、100年先を見た男のすることか???あたかも聖人君子の如く中国では尊敬されているが??? 孔子も嘆くかも…中国には『君子は屋漏に愧じず』と言う諺もあるのに、、、
孫文は日本に滞在中〜中山と言う名を使用していた、、、たまたま亡命先の隣に中山さんと言うお宅の名が気に入ったとか???
下関市綾羅木の中山神社に中山慶子の弟『中山忠光』が祀られている。。。
慶子は孝明天皇の妾〜その子が明治天皇。。。
忠光は長府毛利藩に保護されていたが、禁門の変・四国戦争・第一次長州征伐などで弱体化していたこともあり、、、反対派の藩士に暗殺されてしまう。。
享年20歳〜殺されたのが1864年11月5日!高杉晋作が功山寺で挙兵したのが12月15日〜 もう〜40日余り隠れていれば、、、助かっていたのに。。。
忠光のひ孫が清朝〜ラストエンペラー『浩』…清朝を倒した男が孫文
孫文は日本で使っていた名〜『中山』はラストエンペラーが中山家の子息と知っていて使ったのではないだろうか〜???
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| 大内義長 |
7月20日(月) 久々に城下町〜長府を散策しようと思ったら雨 に祟られガックリ><〜 でも、功山寺だけは行ってみた。。。
あの時〜兄ちゃん『大友宗麟』が、忠告してくれたのに…言う事を聞いとけば良かった。。。 だが、俺はブランドを欲しがった 〜大内と言うビッグブランドに目がくらんだ…
あれは〜1551年9月に義父でもあり叔父でもあった『大内義隆』が大寧寺の変で没した… 不義を決行した陶晴賢は仇だが、大内家当主になれるチャンスを与えてくれた、、、
でも、今では後悔している、、、家督を譲り受けたこの5年間〜何一つ私の意見は通らなかった、25歳で自刃する羽目になってしまった… 唯一成し遂げたことはザビエル教会建設の許可を出したことだ、、、 ちなみに私もキリシタン大名〜(ジュアン)と言う。。。
と、言ったか言わなかったはわからないが???、、、
大内義長の辞世の句 誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ
1557年ここ功山寺で大内義長(大友晴英)自刃。。 曹洞宗〜1327年創建。。。
 1864年に高杉晋作が同志と共に奇兵隊を挙兵した寺でもある〜 挙兵日を赤穂浪士の吉良邸討入と同じ12月14日に合わせる予定だったらしいが、、、一日づれ込んだ。。。 ちょっと間抜けな気もするが、当時の人のこだわりが、面白くも感じられる。。。

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