トムのざれごと
散策ぶらつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設~現在に至る
趣味:競技麻将・史跡巡り
山口県長門市西深川4078-5
TEL~0837-22-3776



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

47年前の思い出の地 川俣
11月7日(月)
四世代で同行した親父のタイムスリップの旅…
昭和39年に親父(三菱重工業)はコンクリートポンプのデータ集積の為に日光市川俣ダム建設現場に半年以上~単身で赴任していた。
今の琴音と私が同じ6才の時だった。。。
昭和41年のダムの完成を見ずに下関へ帰ってきた…

親父は自身が携わった仕事の大成を見てみたかった!!!
仕事は堤高117mのダムを登ったり下ったりの毎日、、、秋には栗拾いで楽しんだが…休みの日は山深いこの地で何もすることは無い。。。
たまにダム工事を請け負った鹿島建設のスタッフと川冶温泉に出かけた事が思いだされる。。。

中禅寺湖から戦場ヶ原を通り山王林道を抜け川俣へ、、、残念ながら期待していた紅葉はすでに終わっていたガックリくん

親父と川俣大橋と川俣湖
変換 ~ DSC06916

今回の目的地の川俣ダムを一望できる瀬戸合見晴休憩所に到着。。。

休憩所から望む川俣ダムとわたらっしゃい吊り橋…
変換 ~ DSC06918

瀬戸合見晴休憩所で昼食に…

ビックリしたのは串焼きメニュ~
変換 ~ DSC06921
一通り串をチャレンジ、、、特に熊肉は興味があった、、、美味い
川俣ダム湖をバックに熊を頬張る親父。。。
変換 ~ DSC06934
もっとビックリしたのは、、、串を焼いてた主人がなんと親父と同じくここ川俣ダム建設に携わった人物で、二人で当時の話に花が咲き目的の達成感を感じた一瞬だった。。。


前日に日光東照宮へ~

久能山に一年~その後に、ここ日光の地に神として祀れと遺言をして1616年(イロイロあったのだろう~)に世を去った家康!
秀忠は父・家康を尊敬はしていただろうが、、、孫・家光は違った。。。
家光は家康を崇拝していた。。。
変換 ~ DSC06903
だが幕末期の慶応4年に窮地を迎える…
前年の冬より日光山の世上不安のため一般の武士や庶民の参詣を禁止して、、、八王子千人同心が警備に携わっていた。
4月の戊辰戦争で宇都宮で敗れた大鳥圭介が長とする幕府側の一隊は、日光に立てこもり官軍と戦う姿勢をみせる…???と言うより幕府側の武士たちは戦う大義名分が無くなり、離反者も続出し、、、弾薬も底をつき…

東照宮の焼失を未然に防ぐため、地元有志と官軍の長~板垣退助との話し合いが神橋畔で行われ、日光の建造物が灰になることを防いだ。。。

明治5年に日光の女人禁制がとかれ、、、誰でもお参りが出来るようになった。。。

日光東照宮が世界遺産になったのは、絢爛豪華な装飾を施した徳川家光と、ここ日光東照宮を灰にしなかった板垣退助のお陰だな…!!!

それと、明治26年に亡くなるまで、ここ日光東照宮の宮司を務め最後まで徳川家を見守った!元、会津藩主~松平容保かな!!!
変換 ~ DSC06888

会津といえば長州とはつい最近まで険悪だった!今もかも?
過去に会津若松市は萩市からの友好都市提携申し入れを拒絶した経緯があったが…
平成9年に会津に残る長州への怨念を描いた市民劇が萩市で上演されたのをきっかけに、当時の会津若松市長が戊辰戦争後初めて萩市を訪問した。

会津若松市長が真っ先に訪れたのが、奥平謙輔の墓だった。

奥平謙輔と前原一誠は友人の会津藩士~秋月悌次郎から神童と呼ばれていた少年~山川健次郎を会津から新潟まで命がけの脱出劇で学問を受けさせる為の約束をし実行した人物!

山川健次郎は明治の教育者として多大な影響を与え、その後の日本の発展に尽力した人物!
それに白虎隊の最後の生き残りでも有名だ!
山川健次郎の妹~捨松も明治時期においては大山巌の夫人として、外交や赤十字・ボランティアなどなど、日本の為に尽力した女性だった。

明治9年10月27日に前原一誠や奥平謙輔が首謀者になり、萩で乱を起こし処刑される。
木戸孝允はこの動きを事前に察知し萩城を解体し警戒していたが、乱は起きた。

松下村塾の創設者~玉木文之進(吉田松陰の叔父)は自身の子や弟子が、乱に参加した事の責任を感じ先祖の墓の前で切腹。
この時、介錯をつとめたのは吉田松陰の一番上の妹のお芳でした。
日本で唯一介錯をした女性と言われています。

楫取素彦郎が妻にしたのが、松陰の二番目の妹の寿子!四番目の妹~文を久坂玄端が妻に…
蛤御門の変で未亡人になった文を楫取素彦郎が、後に後妻として迎えます。

前原一誠と奥平謙輔は会津を離れる際に、地元の人から惜しまれ唯一会津の人から尊敬されている長州人なのだ!

今でも会津と長州の和解は…?


いろは坂から中禅寺湖、、、雨と霧でまったく紅葉は見えず残念
だが、温泉は最高に良かった乳白色の奥日光湯元温泉!!!
雨の中の露天風呂を楽しんでいると、、、なんと3頭の鹿が訪問…琴音もビックリ
変換 ~ DSC06907


川俣から平家の落人伝説の湯西川へ、、、、、
平家落人の菩提寺でもあり、京都知恩院の末寺でもあると言う…慈光寺~右の階段の上~ このあたりは、まだ紅葉が見ることができた。。。
変換 ~ DSC06937

1185年の壇ノ浦での敗北後に湯西川平家一門の守護神…高房神社は、1190~1199年頃に建立されたと言う!
変換 ~ DSC06953

補修工事の為に、川俣ダム内の見学が出来なかったので、、、川治ダム見学と水陸上用バスでの八汐湖紅葉ツアーへ…水しぶきを上げダム湖へGO~
変換 ~ DSC06961
ダックツアー水陸上用バス…
変換 ~ DSC06960


T~パーマ
フロント&トップは低ステムでのワインディングでまとまりよく!
N様は髪質が強くて多い、熱ににも強いのでサイドは8mmレンツアイロン&シルバーアイロンでの毛元を矯正しての仕上げ!!
変換 ~ DSC06983

こちらのF様髪質が柔らかいし細い~
フロント部分のみ立ち上げを利かしてのワインディングでその他はダウンステムでゴムの跡に注意しての浅めのクロス掛け!
サイドのアイロンパーマは8mmと6mmを使用し、膨れないように根元はテンションアイロン使う。
仕上げはドライヤーで乾かすのみ!!
変換 ~ DSC06997

















スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://tom106.blog72.fc2.com/tb.php/105-f34265aa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。