トムのざれごと
散策ぶらつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設~現在に至る
趣味:競技麻将・史跡巡り
山口県長門市西深川4078-5
TEL~0837-22-3776



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平戸と長州の偉人
吉田松陰は26石の杉家から57石の叔父~吉田家の養子となった、吉田家は山鹿流兵学の師範~

さらに学ぶために松陰はここ平戸を訪れた!!

山鹿流兵学の祖である山鹿素行が平戸藩主~松浦鎮信と親しかった縁で、弟の山鹿平馬は1655年に松浦家に召し抱えられ、後に家老となっている。

1850年~松陰はその子孫~山鹿万助の主宰する積徳堂の門をたたいた…

積徳堂は山鹿素行の孫~山鹿高通が1745年に平戸に移し、明治維新にいたるまで約120年間平戸藩における学問兵学の中心道場だったが…現在は個人所有とのこと。。。

平戸城も現在、個人所有~城内は一般の住宅は建設不可で~公共施設のみ、、その地代収入で、この莫大な敷地の固定資産税が賄えるかが、気になった私です。。。

ガイドさんの話では松陰は山鹿万助に門前払いを受けたが、事前に知り合いになっていた平戸藩家老~葉山左内の口利きでなんとか53日間の遊学ができたとの説明だったが、、、松陰は長州藩に遊学申請をだし許可を取り、起請文と萩焼筒茶碗の土産まで持参したのに
門前払いはないと思うが…???

どちらにしても松陰は滞在中は貪欲に数多くの書物を書き写し知識を吸収したようだ!

20才の松陰にとって生まれて初めての外遊~知識以外にも得たものは大きかったと思う。

九州の志士と交友を深める中~山鹿流兵学つながりで10才年上の肥後藩軍学師範の宮部鼎蔵とも知り合い、一緒に東北地方の情勢を見聞して歩き、友情を深めていった!

松陰が安政の大獄で処刑された後、宮部鼎蔵も池田屋事件で新撰組に殺されてしまう。。。

松陰が平戸で滞在した紙屋跡!現在は石屋になっていた!!
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種田山頭火は昭和7年に平戸を訪れた!!
島の美しさと人の温かさに感激し、平戸は日本の公園であるとも言っている。
たしかに景色は素晴らしかった!!生月の大気圏と言う店で食べたアゴ出汁ラーメンは美味かった!!!

種田山頭火が眠る山口県防府市の護国寺!
DSC06442.jpg


山頭火は平戸の巡査の職務質問が、よほどムカついたのか?一度はここ平戸に落ち着きたい考えたらしいが、、、やはり放浪の旅へと出ている。

私は山頭火の『まっすぐな道でさみしい』と言う句が好きだ!!!
人生自体まっすぐは道はありえないし、私~自身の人生も紆余曲折だっのが、共感していつのかも!
DSC07105.jpg


1864年12月13日~下関・田耕で暗殺された中山忠光の母はここ平戸藩主・松浦清の娘~愛子!!

高杉晋作が長府・功山寺で騎兵隊を決起したのが、暗殺された二日後…
この事件が晋作を動かしたのだと思つたが、、、晋作は赤穂浪士の討ち入った12月14日に決起日を決めていた!
山県有朋や伊藤博文の躊躇で一日遅れてしまったのだ!!

中山忠光はもう~2,3日隠れていれば、死なずにすんだかも…

この暗殺により維新後、毛利長府藩主の爵位は上から4番目の子爵にとどまったと言われている。

山鹿素行は朱子学を批判したことで赤穂藩預かりになったことにより、赤穂浪士達は山鹿流兵学を学び、、、討ち行ったことにより山鹿流兵学がブレイクしたのもちょいと複雑なきがする。

明治天皇の生母は中山忠光の姉~中山慶子!!と言うことは松浦清は明治天皇の曽祖父になる。。。


フランシスコ・ザビエル一行は1550年8月、平戸に入って布教活動をする。
11月には下関に上陸し山口へと向かう…
長門・周防の守護大名・大内義隆にも謁見しこの地での布教許可を求める。

ザビエルは、全国での宣教の許可を得ようと足利義輝への拝謁を請願するが、かなわなかった。
また、比叡山延暦寺の僧侶たちとの宗教論議の提案したが、、、門前払い。。。


ザビエルは、平戸に戻り大内義隆にプレゼントを持って再謁見!!


これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。

また、山口での宣教中、ザビエルたちの話を座り込んで熱心に聴く盲目の琵琶法師がいた。彼はキリスト教の教えに感動してザビエルに従い、後にイエズス会の強力な宣教師となるロレンソ了斎となった。

1551年9月1日に大内義隆は家臣のクーデターにより自刃してしまう。
ぎりぎりザビエルは豊後の守護大名・大友義鎮(後の宗麟)に迎えられたことにより命拾いすることに!!


長州とは関係ないが、驚いたことにウィリアム・アダムス(三浦 按針)の墓もあった。

1600年関ヶ原合戦の前に大分県国東半島に座礁、漂着した。
船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、アダムスら乗組員を拘束した!
この間にイエズス会の宣教師達が訪れ、オランダ人やイギリス人を即刻処刑を要求したが、徳川家康は数学、造船、航海術などの知識に喰いついた!!

その後、三浦半島の一部を領地と旗本クラスの250石取りの報酬を与えることで、ウィリアム・アダムスを利用した。

1616年に家康が亡くなると秀忠の方針は貿易を平戸のみにし鎖国体制を敷いた、ウィリアム・アダムスは生き場を失い、、、1620年56才でここ平戸でその生涯を閉じることに。
DSC07110.jpg








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