トムのざれごと
散策ぶらつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設~現在に至る
趣味:競技麻将・史跡巡り
山口県長門市西深川4078-5
TEL~0837-22-3776



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寺沢 堅高
鏡山からの素晴らしい風景~

三韓征伐の帰りに陣痛に襲われ、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地で無事に応神天皇(15代天皇)を産んだという逸話の鏡山!!

虹の松原と唐津湾に浮かぶ島々、、、中央に、唐津城も…
CIMG0498_s.jpg

唐津二代目城主~寺沢堅高!!
徳川秀忠が没した翌年の1633年に父の寺沢広高も死去し藩主を継いだ。

時代は3代将軍~家光。。。
幕府もまだまだ不安定な時世~不平不満を持っていた士族達が浪人となり溢れていた。

秀吉の朝鮮攻略もあってか天草の領主を小西行長に使命したが、、関ヶ原の戦いで敗れた後に、寺沢広高が唐津と天草の領主となった。

息子の堅高の時代の1637年に小西行長の家臣~益田甚兵衛ら浪人、農民、キリシタン達による島原の乱が勃発した。

甚兵衛はカリスマ性を持つ息子~天草四朗を前面に立て島原の乱を起こす。

江戸に参勤中であった堅高はすぐさま帰国して幕府軍とともに乱の鎮圧にあたったが、、、乱の終結後は失政の責任を問われた。

島原の城主~松倉勝家は領民に過重な年貢、労役を課しさらに、領内に多かったキリシタンへの弾圧も残忍を極めた事により斬首!!

寺沢家の処分は、天草領地の没収に留まったが、堅高は出仕も許されずストレスからくる、うつ病なのか???10年後の1647年に江戸の海禅寺で自殺した。
嗣子はなかったため寺沢家は断絶し、唐津藩は改易となった。

寺沢家の家紋は虹の松原の松をイメージしたのか???それとも、、、???、、、初めて見る大変ユニークなものだった。。。
唐津の近松寺にある堅高の墓。
CIMG0504_s.jpg

安田国継は明智光秀に仕え、1582(天正10)年の本能寺の変では、先鋒を務め織田信長に槍をつけ、森蘭丸を討ち取ったという。
国継は明智家の滅亡後は主君を次々と変えた、、、羽柴秀勝→豊臣秀長→蒲生氏郷→立花宗茂に仕え、2度の朝鮮出兵にも従った。
最後は堅高の父~寺沢広高を頼り、、、ここ、唐津へ、、、、国継が眠る、浄泰寺!!
CIMG0501_s.jpg

小早川隆景は秀吉から筑前、筑後の領地を拝領するも隆景は毛利家の家臣として自分の領国とせずに、豊臣家からの預かり物として管理し、太宰府天満宮の修復も行い、、、秀吉の甥っ子の秀秋を毛利~本家の養子に提案されるも断り、自身の養子として受け入れるなど、危機管理にずば抜けた人物だったと思う!!!
太宰府天満宮~
CIMG0510_s.jpg
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