トムのざれごと
散策ぶらつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設~現在に至る
趣味:競技麻将・史跡巡り
山口県長門市西深川4078-5
TEL~0837-22-3776



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廿日市の旅
3月1日(日)
大阪から松井プロが来るというので、参加してみた。
広島は三度目!!
一度目も二度目も4・4着発進と広島は鬼門なのか???
今回も4・3着スタート!!!やはり、相性が悪い気がする。。。
結果~4・3・1・4着の19/32位で終了~オマケにチョンボもやらかす始末。

上利は3位と上々の成績で広島での相性は良さそうな感じだった。
久々に上利とも一杯が飲め楽しいひと時を過ごせた。。

翌日の月曜日には廿日市の観光をした。
まずは、佐方八幡神社 へ、、、堀田二助の石灯籠と特牛さんがあった。
CIMG0553_s.jpg

堀田二助は、ここの生まれ、、、幕府天文方として伊能忠敬の師匠的存在であったらしい~
墓は津和野の永明寺にある。
特牛さんの特牛は豊北町の地名としてもある。何か関係性があるのか???
色々な思いを込めてやさしく撫でてきた、、、ご利益があれば嬉しいが・・・…
CIMG0552_s.jpg

今回の最大の目的地~洞雲寺に来た。
廿日市駅近くにあった、周りは新興住宅地で新たな道路も整備され、近代化され、時の移り変わりをさみしく感じた。
CIMG0561_s.jpg

1555年の厳島の合戦で毛利元就に破れた陶晴賢の墓!桜尾城での首実験後に、ここに埋葬された。
CIMG0557_s.jpg

大内義隆との戦いに敗れ、桜尾城内にて自決した桜尾城主~藤原興藤の墓もあった。

皮肉にも藤原興藤を殺した、大内義隆!義隆を殺した陶晴賢!なにか因縁を感じる!!

穂井田元清の墓もあった、、、元清は毛利元就の4番目の子。
陶晴賢のクーデターで大内義隆が自刃した大寧寺の変の1551年に元清が生まれたのも不思議な縁かも???

母は乃美の方!正室の妙玖の方が亡くなって2年後に元就の初めての継室として、毛利家に入る。墓所は下関市の功山寺。

特に三番目の兄~小早川隆景と相性が良かった元清!!!多くの戦いにおいて隆景の軍に属して戦った。

元清の子孫は萩藩の支藩である長府藩、清末藩の藩主として存続し、輝元の直系が絶えた後、元清の子孫は本家の養子として萩藩主となり、毛利氏の嫡流として幕末まで続いた。
CIMG0558_s.jpg

桂元澄の子孫の桂太郎が整備した、桜尾城跡~桂公園。
厳島の合戦では毛利元就が陣を置き、陶晴賢の首実検も行われた桜尾城。
CIMG0554_s.jpg

極楽寺は標高661mの大自然の中に建てられていた。
平日の月曜日にも関わらず、、、多くの人が遊歩道を使い参拝しに登っていた。

毛利元就が75才で亡くなる10年前の1562年に建立されたと記述があった、元就の長男、、、隆元が、和智誠春の宴席後に謎の死を遂げたのが1563年だから、隆元鎮魂の為の建立ではない。

隆元の世話役していた、赤川元保も隆元暗殺の疑いで切腹させられる。
だが、、、後に、元保は関係性が無かった事がわかり、後の赤川家は毛利家臣として優遇される。

元澄と元保は仲が悪かったらしい~ひょっとして元澄が元就にデマ情報を告げ口したのかも???などなど、考えながら廿日市の旅を終了。。。
CIMG0568_s.jpg



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