トムのざれごと
思いつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
社長:くっきぃ
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設〜現在に至る
趣味:競技麻将・映画鑑賞・旅行
TEL〜0837−22−3776
携帯〜090−6412−9464



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渡辺通(わたなべかよう)
 渡辺家は、毛利氏の安芸下向に同行して以来の譜代の家柄。

 1523年に毛利元就家督相続の起請文に署名した15人の家臣の一人だった。。。
その際〜元就の居城多治比猿掛城に直接出向いたのは父〜だという。
しかしその翌年、尼子氏と結んで元就の弟の相合元綱を擁立して反乱を起こしたため殺害される。 勝は郡山城において元就にみずから手討ちにされ、深谷の下に叩き落とされたという〜
彼が何故謀反の及んだかはハッキリしていない。
 勝の居城は毛利元就の手勢に襲撃され、勝の一族はほとんど殺害されたが、子の通は山内直通の元に逃亡し難んを逃れた。
 山内直通は、出雲尼子氏と周防大内氏・安芸毛利氏との間で、独立を保った備後の戦国武将。。。
命の恩人の直通の一文字の「通」を名のった。。。

通は後に元就に許され家臣となったが、、、元就の懐の深さを感じさせられる。。。
 大内氏の第一次月山富田城の戦いに毛利家臣として参加するも、1543年に大内氏が配下の吉川興経らの裏切りにより尼子氏に敗北したため、大内氏傘下の元就も撤退を余儀なくされる。
領国の安芸へ撤退する途中、石見の大江坂七曲りで、尼子軍に追い詰められた元就の身代わりになってはおとり役を引き受け、その後他の六人の毛利家臣(内藤九郎ら)と奮戦した末に討死した。
 彼らが戦死した場所が島根県温泉津町小浜の七騎坂といわれる。

無事〜安芸への帰還を果たした元就は、通の献身に感動し、決して渡辺の家を見捨てないと誓い、通の遺子のを股肱の臣として重用。
その態度は毛利家の子々孫々まで受け継がれ、長州藩の正月の甲冑開きの儀式は代々渡辺家のものが先頭の栄誉に与かることになった。
は渡辺家の名誉を身を犠牲にして回復したのである。

以後〜幕末まで渡辺家を厚遇した。





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