トムのざれごと
散策ぶらつきブログ。
プロフィール

黒岩 司

Author:黒岩 司
職人:黒岩 司
性別:男
誕生日:1958年7月26日生まれ
理容師資格:1976年山口県
美容師資格:1979年東京都
1983年:おしゃれサロンTOMを開設
1988年:106(トム)開設~現在に至る
趣味:競技麻将・史跡巡り
山口県長門市西深川4078-5
TEL~0837-22-3776



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第13回土田杯

10月9日(日)
第13回土田杯に参加

3・2・2・4着と40人中35位!受付番号の35と同じ順位で終わった。

土田会に入って一年弱だが、土田さんの話にはいつも引き込まれる。

今回『運を育てる』と言う本を買った。

まだ、読んではいないが、パラパラとめくって目についた一節に、勝ち負けよりも、また『あの人と会いたい』と思ってもらえる打ち手になる方が価値がある。

また、土田プロの素晴らしさに感動!!

私も土田さんから言葉を頂いた『負けて知る己の力、勝って知る己のおごり』と…納得しまくり。
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次は11月4日に広島土田会に参加予定。

今夜の宿は二日市!
ウィークリーイン二日市!! 20㎡ バス・トイレセパレートタイプにミニキッチン付で良かった。

昨年、太宰府市観光に付き合っていただいた大宰府歴史解説員の相島さんと今回も歴史の旅へ、、、
その前夜祭として一杯。飲みながらの歴史の話は最高だ!!

10月10日(月)
相島さんがわざわざ迎えに来ていただき、高橋招運の首塚へ、、、7月に秋月城跡に行った際に二日かかりで、高橋招運の首塚を探したが見つからなかった。
今回やっと念願かなう。

ここは連れて行ってもらわないと分らない場所、住宅やマンションの建ち並び狭いあぜ道の先にあった。
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高橋招運の胴塚
こちらはうって変わり、淋し気なうっそうとした山の中!岩屋城の二の丸があった場所。
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高橋家を再興した高橋紹運が岩屋城主となった。

大友宗麟が亡くなる一年前の1586年に九州制覇を目指す島津氏が5万の軍で岩屋城を攻撃した。
高橋紹運は723人の家臣と共に篭城したが、豊臣秀吉の援軍が来る前に陥落。
紹運は自害、全員討死した。  紹運の享年は39才。

今日は快晴で、ここからの眺めは抜群だった。。
723人で迫りくる島津5万の兵を見るもの圧巻だったに違いない。。
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島津軍は岩屋城の攻略に手間取り、結果~秀吉が九州を平定する。
高橋紹運の実子の立花宗茂(20才)は、天正15(1587)に大友家から独立し柳川に秀吉から領地を賜る。

今年5月土田杯の折に柳川を散策した際、立花宗茂と妻の誾千代と誾千代の父親の立花道雪を祀っている三柱神社に参った時に写したもの。。
20才で城主をなり33才の時、関ヶ原で西軍に付き負け、改易後~大名として復帰した武将はいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人だった。
その時、妻の誾千代は死していなかった。
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大野城跡の周囲8kの土塁は見応え十分!!
663年の白村江の戦いの2年後に防衛を目的に造られ、昨年見た水城と連動されている当時の公共事業に驚くばかり。

太宰府と言えば、定番の太宰府天満宮!!
だが、あえて2014年5月に行った北野天満宮『創建~天暦元年(947年)』の写真!!
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北野天満宮にあったカラフルな牛
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管原道真が流された901年から没するまでの2年間幽閉された太宰府市の榎社。。。
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道真が生まれ育った京都の管原神社。
道真の子供たちも土佐・駿河・飛騨・播磨と流され、道真と一緒に太宰府に流された子にも先立たれ、その無念さは計り知れない。
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太宰府政庁跡周辺ぶらり
3月13日(日)
天神のじゃんけんポンで第10回土田杯に初の参戦。
昨年末に土田会に入会し、土田理論に魅了され心地よい。
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結果は1・2・3・1着の32人中7位。

半荘3回戦目オオラスまでトップ、、、いつもの思い込みの魔がさす、また、やってしまった。
時々、平常心を失う、なかなか欲に勝てない、、、もっと楽しもうという気があれば、余裕ができ、好結果繋がるだろうし、悪い結果であっても、また、それを楽しむ精神力があれば、、人が見ていたらできても、、、見ていなかったら魔がさす…
君子は屋漏に愧じず、、、、なかなか難しい。。。。
黒岩・土田浩翔プロ・広島の薗田さん
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今回の歴史の旅は大宰府政庁跡周辺を大宰府史跡解説員の相島敏夫さんと共に散策した。

白村江の戦いの翌年の664年に、ここに府が置かれ、西の防衛、外交交渉の拠点とした。
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石碑と石碑の間の山の上に高橋紹運が討死した岩屋城があったそうだ。
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藤原時平よって901年に菅原道真は左遷で大宰府に来たのかと思っていたが、、、!?

相島さんの話では、流刑として、この地に連れて来られ、幽閉の身であったと聞き、、、当時の慣習かも知れないが、京都で処刑してあげた方が、本人も楽だったろうに思う。
菅原道真がここで、着替えを行ったと伝わる…衣掛天神
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一昨年、京都をぶらぶらしている時に、偶然に菅原道真の生家、管原神社を見つけた、道真が使ったと言う産湯の井戸もあった。
道真が使ったと言う産湯の井戸 下京区西洞院通高辻上るの菅大臣神社内にあった。
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相島さんの話では、罪人として流されても、亡くなれば京に戻すのが、通例だったそうだ!!
道真の意地なのか!?藤原時平への抵抗だったのか???

自身の亡骸を牛に引かせ、太宰府天満宮の神となり、太宰府市観光の中心となり、過去から現在までの経済効果も計り知れないと思う。

道真自身も神として祀られ、菅原道真と言う名が後世に残るとは、思ってもみなかったろう~

数年前に行った、宮島の厳島神社に厳島の合戦に勝利した翌年の1556年に毛利元就の長男~隆元が毛利家当主として天神社を建立しているのを見つけた。
なぜ??菅原道真??天満宮??かは、わからなかったので、厳島神社のスタッフさんに尋ねるもわからなかった!?
室町時代以前から菅原道真は有名人だった事には間違いない。
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次に行った観世音寺!!も古く中大兄皇子(天智天皇)が、母親の斉明天皇の菩提を弔う為に作らした言う。
80年後の746年に聖武天皇の時代に建立。
本殿の手前にある、大きな石臼は当時の物で寺院建設時に使う朱の染料を挽いた物らしい~
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菅原道真も聴いていた言う、日本最古梵鐘は7世紀後半に鋳造されたという。
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五重塔の芯柱の礎石もあった。
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鑑真を招いて創建したと言う、三大戒壇の一つが、761年に建立されたとある。
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最後に相島さんに案内されたのが、新羅・唐の防御の為に664年に大宰府を守る為に、作られたと言う水城跡!!
このあたりの地形が狭く作りやすかったらしいが、、、それでも全長1.2kで高さ10m以上の土塁をよくも作ったと思う。
当時は当然~人力!!この公共事業が今も現存してる事に感動!!
案内板と今回、ガイドして頂いた大宰府史跡解説員の相島敏夫さん。
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私一人の為に資料を用意し、解りやすく丁寧に4時間も案内していただいた相島は、どの時代の私の質問にも的確に答えられた、今までのガイドさんの中ではピカ一の知識の持ち主!!   素晴らしかった!!!   感謝。。。



伊集院妙心の旅
旅の二日目は指宿から、開聞岳~枕崎を経由し加世田の萬世酒造へ、、、ここでは焼酎のできるまで説明や展示を見学し、購入~
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今回の目的地伊集院へ、、、
10年前から来てみたかった地!!
大内義弘が娘の菩提を弔う為に建てた妙心寺!!!
解説板には、大内義弘が島津元久の許可を得て、1390年に石屋真梁禅師が開祖と記述されていた。
大内義弘は1399年の応永の乱で、足利義満に討たれるので、死ぬ9年前に妙円寺を建立したことになる。
妙心が成仏できず、亡霊となりさ迷っていたのを石屋真梁禅師が成仏させたうんぬんと書いてあったが???
やはり、妙心を伊集院に嫁がせ、何らかの原因で亡くなった、妙心の菩提を弔う為に、経済的に裕福だった大内家が建てたのだろう~か???
現在の妙円寺は周りを一般住宅に囲まれひっそりとこじんまりした寺だったが、、、以前は、莫大な敷地をを持つ寺だったに違いないと思う。
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石屋真梁禅師の碑
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明治時代の廃仏毀釈で妙円寺から徳重神社となった。
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関ヶ原で敵中突破で名を馳せた島津義弘!!
政治的や地形的なことでか??西軍として参戦しながら領地の減封もなかった島津家。
関ヶ原で戦わずして2ケ国に減封させられた、毛利家。
若い輝元と家康より7才年上の義弘の差か???わからないが、、、
義弘もここ妙円寺を自身の菩提寺をし、家臣の墓石や灯篭が並び、雰囲気をかもしだす。
関ヶ原の戦いで負けたが、、、家康より3年長生きし、1619年に亡くなった、島津義弘85才没は家康が死んだ1616年に勝ったと祝杯を上げたかも???
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我が家の近くに石屋真梁禅師が1410年に開いた曹洞宗の大寧寺がある。
それから450年後に、薩摩藩と長州藩が手を結び明治を作ったのも不思議な気もする。
大寧寺
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翌日~長嶋・蔵之元港からフェリーを使い牛深へ、、、天草に渡り、津崎天主堂を目指す。。。
戦国時代に小西行長が天草を統治したことで、キリシタンの地に…
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神社の階段下のお土産屋さんのご主人に、富岡城の事を聞き、行くことに…
富岡城主は唐津城主の寺沢広高!!
小西行長の処刑後、、、加藤清正に天草の統治を任せようとしたらしいが、面積の割に収穫量が少ないのか???
清正が断り、、、飛び地として引き受けたのが、寺沢広高!!
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それが、仇となったのが、1637年に起きた島原の乱!!!
戦後処理に寺沢広高の息子の堅高は天草の領地を没収され、それでうつ病になったのか、江戸屋敷で自殺し、寺沢家は熊本の城の加藤家と同じ二代で断絶した!!
秀忠の策略なのか???

富岡城訪問はプランに入れてなかったが、来て良かった!!周りの景色が唐津城によく似た城だった。。。



福原 元僴
10月18日(日)
宇部市観光ガイドさん主催のてくてくまち歩きに参加!!

周防徳山藩主~毛利広鎮の六男として生まれた、長州藩の永代家老~福原 元僴!!福原越後の名で知られている。。。

越後を主祭神として、切腹から2年後の1866年(慶応2年)に宇部護国神社として創建された。。。

今日の集合場所は、その宇部護国神社!! 
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1863年8月18日の政変で長州藩が京都から追放されると、元治元年(1864年)に来島又兵衛や久坂玄瑞らと挙兵し、禁門の変を起こした。

越後は来島又兵衛より2才年上!まして、家老~三家老の中でも、一番年上!!

四国戦争で欧米にぼこぼこにされ、第1次長州征伐が起こると、保守派が当然~主導権を握る。

長州藩内での処分は越後の家臣たちの行動を警戒し、岩国に送られ龍護寺で自害となった。

享年50才~首級は国司親相・益田兼施~家老らと共に幕府側に送られ、広島城での首検証となった。

越後は、自身が総大将となっての仕業だけに、仕方ないだろう~

だが、国司親相は、まだ23才~これも時世の仕業と思うしかなかっただろう~

福原氏は、もともと毛利氏と同じ、安芸の豪族!!
毛利元就の父~弘元が福原氏から嫁をもらい興元と元就を生んで、その後の地位を不動にしたものだと思う。

ガイドさんの話で面白かったのは、家老も領地を与えられ、年の半分くらいは、江戸詰だったと言う事と、、、最近~政治の世界で維新がクローズアップされているが!!そもそも明治維新の維新発祥はここ宇部であったという事。。。

そういえば、、、乃木希典も、江戸の毛利藩邸で生まれた。

その後、希典の父~希次が、長府藩主の家督争いに口を挟み、怒りをかい、長府に戻された。。
これが、希典の人生を変えた。。。

越後の死後、養子の俊丸も福原姓を使う事ができず、慶応3年~藩命により大英帝国リンカーン法曹院へ留学し、日本人として初めて法廷弁護士の資格を得て、明治元年には復姓した。

明治7年に帰国して、厚狭郡内の採鉱権を、私財を投げ打って買い戻した。
この年に楫取素彦も群馬県令となる。

福原史跡公園
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琴崎八幡宮では秋の祭だった。
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この日は山口県引き受けのねんりんピック!!
マージャンは防府市が担当~
宇部から防府へ、、、

関東から長崎、広島、福岡などなど、、、知り合いが、来ているので見学に…
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山口県でも健康マージャンも広まりつつある。。。

防府市へ来た、ついでに、5~6年前に、わからなかった、大楽寺の楫取元彦、ふみ、の墓も見に来た。。。
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花燃ゆのお陰で案内板があり、今回は楫取素彦、ふみ、楫取家の墓にたどり着けた。。。良かった!!!
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第18回µチャンピオンシップ&第14回道場交流戦
10月11日(日)
第18回µチャンピオンシップ&第14回道場交流戦は今年も銀座~柳本店で開催された。
今年は、広島Aチームでの参加!!
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半荘一回戦目はオオラスでテンパイでの逆転2着。
半荘二回戦目もラス前でこれまた、ノーテン罰符で逆転2着。

ドラ七萬。半荘三回戦目も、、、オオラスまで2着目!テンパイするも、ドラも無い。タンヤオもない。逆転できない
アンコの7索がカンツに成り、リンシャンからドラの七を引いて、リーチに行けば、逆転可能なのにな~と、考えていたら、、、本当に7索がカンツに、、、なんと、、、七を引いて、①を切ってのフリテンリーチ完成。
①は場に三枚。シナリオ通り④をツモり、2000-4000点
+9.6のトップ!順位点入れて21.6!!
優勝決勝卓に行くには、次の半荘四回戦目でトップもしくは、大きな2着が必要と思っていたら、、、何と、51600点のトップ!!!
結果~トータル2位の70.6点で決勝卓へ、、、
トップ目の北家が74.4
私~南家、70.6
西家~58.9
東家~58.5
中盤まで一進一退、、南一局、西家が東家に18000点放銃!!!
私は2000-3900和了し、オオラスのオヤで4200点差と思い込み1300オールをツモり逆転優勝かと???内心ガッツポーズところが、、、1.7点届かず、、またやらかしたが、、、今回も最後まで楽しめた事に満足!!広島チームの足を引っ張らずに、貢献できたのが良かった。。。

16チーム中~広島チ-ム準優勝~
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私は個人で76人中3位!!!
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